がん細胞を転移へと誘う“共犯者” (accomplice)を発見 -口腔がん転移の“地図” (Spatial Map)を作成し、個別化医療への道を拓く-
2025.09.05
研究
プレスリリース内容
本件のポイント
- がん転移の“主犯”は一人ではなかった。
口腔がん細胞のそばに潜み、転移を手助けする主要な細胞集団(myCAF)が「共犯 者」として働く、メカニズムを世界で初めて解明しました。 - 転移の“犯行現場”を「空間解析」で特定。
最新技術でがん組織の精密な地図を作成し、「共犯者」が、がんの最前線で主犯のがん細胞に「転移しろ」という悪魔のささやき(分子シグナル)を送る現場を捉えました。 - 転移のリスクを予測し、治療法を開発する新たな標的を発見。
この“共犯関係”が成立する空間に特有の遺伝子パターン(23 遺伝子シグネチャー)を発見しました。将来、患者さん一人ひとりの転移リスクを予測する診断法や、「共犯者」を標的とした新しい治療薬の開発に繋がることが期待されます。
本図は、我々の研究の概略を視覚化したものです。本研究は、空間的トランスクリプトーム解析を用いて、がん微小環境における口腔扁平上皮癌(Oral Squam ous Cell Carcinoma,OSCC)のリンパ節転移のメカニズムを探求しました。実際の組織標本の上に空間解析の結果を重ねることで、筋線維芽細胞様がん関連線維芽細胞(myofibro blastic Cancer-Associated Fibroblasts,myCAF)と腫瘍細胞の共局在を視覚的に確認できます。拡大図は、その背景にある分子メカニズムを示しています。“共犯者”であるmyCAFが 産生する細胞外マトリックス(Extracellular Matrix, ECM)という信号が、がん細胞の表面にあるCD44という“アンテナ”を活性化させ、がん細胞のリンパ管への浸潤を促します。また、この相互作用が起きる現場はリンパ節転移と不良な全生存期間を予測する、23遺伝子シグネチャーの源でもあります。
本件の概要
なぜ、ある患者さんのがんは転移し、別の患者さんは転移しないのか。これは、がん治療における長年の謎でした。弘前大学大学院医学研究科の歯科口腔外科学講座(古舘 健 博士、小林 恒 博士)、分子生体防御学講座(葛西 秋宅 博士、伊東 健 博士)、人体病理学?病理診断学講座(吉澤 忠司 博士)およびテキサス州立大学MDアンダーソンがんセンターゲノム医療科(高橋 康一 博士)を中心とする国際共同研究グループは、この謎を解く鍵が、がん細胞の“共犯者”の存在にあることを突き止めました。
がん細胞の周囲には、がん関連線維芽細胞という細胞が存在します。これまで、この細胞はがんの進行を助けることもあれば、邪魔をすることもある、謎めいた存在でした。本研究チームは、組織内の遺伝子の働きを“地図”のように可視化する「空間的トランスクリプトーム解析」をはじめとする最新解析技術を駆使しました。その結果、特に悪性度の高い口腔がんでは、「筋線維芽細胞様(きんせんいがさいぼうよう)」というタイプのがん関連線維芽細胞(myofibroblastic Cancer-Associated Fibroblast; myCAF)が“共犯者” (accomplice)として活性化し、がんが正常組織に進展していく最前線で、がん細胞と隣り合わせに潜んでいる「犯行現場」を発見しました。
この空間で、“共犯者”であるmyCAFは、コラーゲンなどを介して、がん細胞に「もっと動け、もっと強くなれ」という分子の信号を送っていました。この信号を受け取ったがん細 胞は、転移能力の高い性質(がん幹細胞性)を獲得し、リンパ節に転移していくというメカニズムを解明しました。
さらに、本研究チームは、この“犯行現場”から「犯人の指紋」とも言える、23個の遺伝子の特徴的なパターン(遺伝子シグネチャー)を発見しました。この指紋(23個の遺伝子)を調べることで、将来、患者さんのリンパ節への転移リスクや生命予後を高精度で予測できる診断ツールや、この“共犯関係”そのものを断ち切る新しい治療薬の開発が期待されます。
本成果は、口腔がんのリンパ節転移に新たな理解を与え、これまで見過ごされてきた“共犯者”を標的とする、新しい個別化医療の実現に貢献するものです。
補足説明
- ?口腔がんについて
口腔がんは、「話す」「食べる」「見た目」といった、生活の質に直結する機能が損なわれやすいという、特有の困難さを伴います。主な危険因子は、喫煙と過度の飲酒です。その他、適合の悪い入れ歯などによる慢性的な刺激も、原因の一つと考えられています。2週間以上治らない口内炎があれば、かかりつけの歯科医院の受診をご検討ください。 - ?予後とリンパ転移の重要性
早期発見であれば、予後の悪いがんではありません。治癒率は、がんの発生した部位や病期により異なりますが、口腔がん全体の5年生存率は60~70%です。しかし、首のリンパ節へ転移が起こると、予後は悪化します。本研究は、この「リンパ節転移」のメカニズム解明に焦点を当てています。口や顎の周りはリンパ管のネットワークが豊富なため、がん細胞が最初にたどり着きやすいのが、首のリンパ節です。 - ?空間的トランスクリプトーム解析(Spatial Transcriptomics)
組織の中の、どの細胞が、どの場所で、どのような活動(遺伝子の働き)をしているかを、“精密な地図”のように可視化する技術です。細胞同士の「会話」を、場所の情報と合わせて捉えることができます。 - ?筋線維芽細胞様がん関連線維芽細胞(myCAF)
がん組織内に存在する、正常な線維芽細胞が変化したものです。多くの固形がんに存在し ますが、その役割はがん種によって異なります。本研究では、口腔がんにおける「myCAF(myofibroblastic Cancer-Associated Fibroblasts)」は、転移を促進する“共犯者”として働く、悪玉の細胞でした。 - ?遺伝子シグネチャー
遺伝子の特徴的な活動パターンです。本研究では、リンパ節転移を起こしやすい患者さん のがん組織にだけ見られる、23個の遺伝子の特徴的な活動パターンが見つかりました。これを検出することで、転移のリスクを予測できる、分子レベルの“指紋”のようなものです。 - ?細胞外マトリックス(ECM)とCD44
細胞外マトリックス(Extracellular Matrix, ECM): myCAFが産生する、コラーゲンなどの構造体のタンパク質です。細胞を取り巻く足場であり、細胞間の信号を伝える“通信インフラ”の役割を果たします。
CD44:がん細胞の表面にある、ECMからの信号を受け取る“アンテナ(受容体)”です。 このアンテナが刺激されると、がん細胞の悪性度が増すことが知られています。
原論文情報
【掲載紙】PLOS Genetics
【著者】Ken Furudate, Shuya Kasai, Tadashi Yoshizawa, Yuya Sasaki, Kohei Fujikura, Shint aro Goto, Ryohei Ito, Koki Takagi, Tomoyuki Tanaka, Hiroshi Kijima, Kosei Kubota, Ken Itoh, Wataru Kobayashi, and Koich Takahashi
https://journals.plos.org/plosgenetics/article?id=10.1371/journal.pgen.1011791
研究支援
本研究は文部科学省の科学研究費助成事業(JP17K17233、JP25K12984、JP20K18716、JP2 4K13104)並びに上原記念生命科学財団の研究助成により行われました。
詳細
プレスリリース本文は こちら(?1.12MB)
お問合せ先
弘前大学大学院医学研究科 歯科口腔外科学講座 客員研究員 古舘 健
Tel:0172-33-5111(代表)
E-mail:furudatehirosaki-u.ac.jp